真夜中のつれづれ

突然の介護、失職、就活……それでも笑って過ごしたい!

二者択一しかないのか?2

 一週間ほど経った頃、恐る恐る聞いてみた。
「リハビリ、少なくなって残念だよね」
「?」
「少なくなってないの?」
「今までと同じだよ」と母。
「時間が短くなったとか?」
「一時間みっちりやってるけど~」
「……」


「今ほどリハビリできませんけど」って言ってたのは何だったんだ?
 そもそも転院か施設かの二者択一って……
 包括担当の人は、最初のお金の話以来、全く相談にのってくれることもなかった。
 病院事情に詳しい姪や、色々調べてくれる姉が居てくれたから何とかなったけれど、自分一人だったらと思うと怖くなる。
 オロオロしながら転院を繰り返していたかもしれない。
 きっと、そんな人たちも沢山いるのかもしれない。


 幸い、母のやる気を引き出してくれるリハビリスタッフのおかげで、退院までの二ヶ月間の密度の濃いリハビリで、自分で起き上がり、見守られながら自力で車いすに移れるまでになっていた。
 そしてこの間、自宅で暮らせるように自宅改修も終わり、リハビリのためのデイサービスの施設も決まった。
 安全に過ごせるための福祉用具も、母が帰ってきたらいつでも設置できるように打ち合わせ済み。


 「退院の許可、いつ出るかな~」
っと、退院したその日からの介護生活が、すっかり頭から抜けていた……

二者択一しかないのか?

 五月初旬、入院から1ヶ月が過ぎ、やっとリハビリができるようになった母。
 起こしてもらい、車いすに乗せられ、それでも楽しそうにリハビリに向かう。
「ああ、もう大丈夫」と少し安心していた矢先、
「急性期も過ぎて病状も安定しましたから、転院してリハビリを続けるか施設に入るか、ご家族で検討してください」
と、まさかの二者択一。
 リハビリは始まったけれど、ほぼほぼ動けない母の転院って……
 第一、楽しそうにリハビリに向かう母になんて言おう……


「包括病棟は駄目なんですか?」
「行けますけど、リハビリが今ほどできませんよ」
「相談してきます……」


 どんな病院が向いていて、リハビリ専門のデイサービスや施設がある事も、少し学んだ今ならば分かることも、知識の全くないこの頃は、ただただ戸惑うばかりだった。


「包括病棟に移してもらって、少なくなってもリハビリ続けてもらえばいいんじゃない?」
 姪の言葉に背中を押され、包括病棟に移ってリハビリを続けたい旨を伝えると、
「あっ、そうですか。分かりました~」
と、笑顔で了承。
 次の日、会社帰りに病院に行くと母の姿はない。……ない?いない!
 慌ててナースステーションに行き「母はどこに行ったんでしょう?」の、何とも間抜けな質問に、
「あっ、今日、包括病棟に移ったんです」
(仕事早いな~)と思いつつ、
「お世話になりました」と、お礼を述べつつ母の元へ。


「遅かったね~。お疲れ様」
 同室の人たちとも打ち解けた様子の母が迎えてくれた。
 この日から、この包括病棟でリハビリをしながら退院を目指すことになった。


ケアマネジャー

「じゃあ、来週の水曜日、午後一時に病院のデイルームで待ち合わせね。お願いしてる人は、前の会社の人の中で一番仕事が出来て、一番信用のおける人なんだよ。その人が紹介してくれる人なんだから間違いないよ」
と、心強い言葉を胸に、姉と二人で病院へ。
 女性か男性かも聞かぬまま、「いい人だったらいいね」と言い合いながら、
二人とも目線は出てくるであろうエレベーターを見つめる。
 しばし待つと、エレベーターから出てきた女性が私たちに近づいてくる。
 が、初めましての挨拶の最中も姉を凝視。
 ………?
「りんちゃん?りんちゃんだよね!」
 と姉の名を呼ぶ。
「………?」
「ほら、私!きみこ!」
「あーーー!きみちゃん!」
 なんと、姉の中学の同級生だったのだ。
「うちの会社、この病院からの紹介は受けないことにしてるんだ。だって、この病院の包括、全然動かないって評判なんだよ」と。
 姪がお願いした人にお世話になったことがあって、お返しの意味もあって一人だけ担当させてもらうねと引き受けてくれたらしい。
 ありがたい。本当に、本当に。
 ここまでは嫌な思いも色々したけれど、この先、施設のことや申請のことやちょっとした相談までも、本当に親身にしてもらっている。
 ケアマネジャーは忙しい。ケアプランをたて、色々な手続きや申請をする。
 ただ、何もしないケアマネジャーがいるのも事実。
 必要以上の介護用具をあてがい、無駄なレンタル代を払わせ、結果、自力で何も出来なくなって寝たきりになったりするのだ。


 私は今、介護士を目指して勉強している。できれば将来、ケアマネジャーになりたいとも思っている。目指すは母を担当してくれてるケアマネジャー。
 そう、利用者本人は勿論、家族の気持ちや意向を酌み取れるケアマネジャーを目指して。

あっという間に……

確か、前回更新したのが1月1日。
と言うことは、気づけば二十日も経っている。
12月24日に、母が緊急搬送からの検査と様子見の入院
25日 精密検査後に退院
26日 検査結果


25日 一時抜けだし職安へ
提出してた訓練校の倍率が二倍と聞き愕然。
27日 職業訓練校から合格通知が届く
やったー!年明けから通える!
28日 職業安定所から電話。
職業訓練校が他の市のため、管轄がその市に移るための手続きと、入学の前日までの失業保険の手続きをするために、入学の前日に来るようにとのこと。
1月9日 職業安定所へ
今回は期間が短かったので、相談一回でいいのかと思いセミナーを受けずにいたら、規定の回数に達していないので失業保険が下りないと言われがっくり……。
がっかりしたまま手続きに行ったら、「私、セミナー受けるように言いましたよね?」の担当者の言葉にムカッ💢!
「いいえ、聞いてません!前回の相談の時も電話の時も、全く聞いてません!」
「あー……とっ、取り敢えず、先に手続きをしましょう……」
なんだかもう、がっかりと頭にきたので混乱しつつも手続きを終え、半年後に戻ってきたときに、又してもこのば△あ(この時は相当頭にきていたので(^^))が担当だったら代えてもらおうと心に決め、職安を後にする。


1月10日 職業訓練校入学式


と、そんなこんなで私は半年間の学生になった。
通い始めて十日。片道33キロの運転の通学も苦ではない。いや、運転好きの私は楽しい。
前の会社は会社自体が嫌になっていたせいか、片道4キロだったけど、その4キロがとても苦痛だった。
1日6時間の授業。ずいぶん久しぶりに色々詰め込んでいる脳はオーバーヒート気味だけれど、気持ちはとっても前向き。
お弁当作りも再開し、てんてこ舞いなこの状況も、一月もすればこのペースに慣れるだろう。

クリスマスイブの救急搬送3

「先生から説明があります。中にお入りください。」
と言われ神妙に処置室に入る。
「頭部は問題ないですね。ただ、腎臓の数値がよくないのと、心臓が白く映っているのは水が溜まっているようなので、明日精密検査をしましょう。上(入院病棟)で手続きをしてください。」
と言われ入院決定。まあ、今回は検査入院ということなので……。


「こちらに記入をお願いします。わかりますよね?明日の朝までにお願いします。」と入院の同意書と寝間着セットの申込用紙を渡される。
確かに、これを書くのは今年三回目だ。速やかに受け取り母の元へ。
既に点滴治療を受けて眠っている母をみて、少し安心して姉に送ってもらい帰宅。
7時くらいに救急車を呼び、帰ってきたのが10時過ぎ。
ついさっきまで、ここでご飯を食べていたのが夢だったんじゃないかと思える。


25日 精密検査の後、無事帰宅。
26日 精密検査の結果を聞きに。
結果は腎臓の数値も元に戻り、心臓も問題ないけれど、脳梗塞の後遺症のむくみ改善の薬を新たに処方。


「今だから言うけど、20年に一度の一番悪い年だったんだよ」と、12月の半ばに姉に言われ、「だったらもうすぐ終わるね。ラッキー!」なんて安心してたのに、最後の最後にこんなことが待っていたとは。


今年は普通に過ごそうか?と思っていたお正月も、せめて花くらいはとお正月らしく活けてみた。
今年は色んなことが立て続けにありすぎて心が折れそうになったりしたけれど、助けられながら何とかここまできた。


31日 母と年越しそばを食べながら、「今年のこと、3年後には笑い話にできたらいいさ」と考えている。