真夜中のつれづれ

突然の介護、失職、就活……それでも笑って過ごしたい!

永遠に続くのか……その後

 母は十数年前、胆嚢切除の手術を違う病院で受けていた。
 その病院は脳外科が無かったため、今回の脳梗塞の症状が出た時は救急指定の病院で治療を受けた。
 お互いの病院で処方された薬に関しては関与しないらしく、両方の病院で処方された薬の数は十二種類を朝食と夕食後に。“多いなあ” と思いつつもどうもできない。
 更に退院してからの母は、一時間おきにトイレに起きるだけでなく、頭が痛いからとひたすら薬を飲みたがっていた。
 休日は朝から“頭痛いんだって!” “薬のむ!” “病院!”と訴えられ、何度休日診療で病院に行駆け込んだことか……。
 平日は寝れないし、休日も全く休めず。この頃の心の休める時間帯は会社に居る間だけだったような気がする。
 そんな母も、福祉用具を使って自分で座れるようになった。
 少ししてデイサービスも始まり、集中リハビリのおかけで杖を使ってゆっくりではあるが歩けるようにもなった。
 最初は行かないと渋っていた母も、少しずつ動けるようになった事が自信になったのか、心待ちにするようになった。
 そして嬉しいことに、デイサービスに通うようになってから一時間おきのトイレタイムから二時間おきのトイレタイムになった。
 二時間おきの間に一時間は寝れる!なんと嬉しい!
 そう思った。最初の頃は……。でも、所詮一時間ずつの睡眠では無理があるのだ。
 寝れないのは辛い……初めて本気でそう思っていた。

新たな一歩

 一昨日、6ヶ月通った実務者研修の卒業式だった。
 はじめは少し不安だった片道33キロの通学も、日々変わる風景を楽しみながらの運転に変わった。
 毎月変わる席替えやグループワークで、どんどんみんなと仲良くなった。
 皆ばらばらの施設での実習には不安を覚え、一週間後に再会したときにはホッとしたし、お互いに“頑張ったね”とねぎらいあった。
 入学当初、がちがちに凍ってた心を、6ヶ月かけて皆が溶かしてくれたような気がする。
 20代前半から50代後半まで。年代も性別も生まれも育ちも働いてきた環境も全く違うクラスメイトと同じ目標を持って学ぶ楽しさ。
 この半年間で3つの資格を取得したが、それ以上に得がたい友もできた。
 卒業式の日は、沢山ハグして沢山写真も撮って沢山笑って、そして泣いた。


 帰りに乗り込んだ車の中から姉にLINEを。
「半年前、迷っていた背中を押してもらわなかったら、今日のこの楽しい卒業式は無かったです。ありがとう」と。


 今までも沢山助けられてきたけれど、この6ヶ月は姉の支えがなければ通いきれなかった。
 母の突然の発熱、インフルエンザ、頭痛……どんな時も母のそばに姉が居てくれてると思うと安心して勉強ができた。


 半年前は、この半年後の資格取得が目標だった。
 今の目標は一昨日受け取った修了証を胸に、これから実務経験を積んで介護福祉士になること。その先はケアマネ。いや、その人に合った福祉用具を提案するのもいいかな?とも思う。
 先ずは一歩を踏み出す!

永遠に続くのか……

 夜九時に眠りにつく母。
 全ての用事を済ませ、私がベッドに入るのは十一時過ぎ。起きるのは五時。
「もっと早く寝ればいいのに」と思う。
 が、寝入る時間なんか関係ないのだ。どうせ一時間おきに起こされるのだから……


 そう、母の一時間おきのトイレタイムは一週間、十日、一ヶ月過ぎても変わらず、おまけに、起きてる間は脳梗塞の後遺症で頭が痛いから頭痛薬が飲みたいと言い続ける始末。
 色々色々重なってイライラし通し。
 日中は姉が来てくれるので、会社に行っている間だけは仕事に没頭できるので平穏で居られた気がする。


 二ヶ月が過ぎようとした頃、姉に言われた。
「もう少し優しくいってあげたら?」
「?」
 全く身に覚えはないけれど、きっとイライラが出てたのだ。
 そう思ったら泣けてきて、今まで寝れてない事を言ってしまった。
「えーっ!眠剤飲んでるのに寝てないの?」
「いやいや、本人は寝てるよ。朝起きると “あー、よく寝た” って起きるから。あっ、トイレに起きるって事は熟睡してないって事か?」


 次の日、姉がかかりつけ薬局の人に相談しに行ってくれて、その日から薬の飲み方の試行錯誤が始まった……

めでたく退院!がっ……

 入院して丸三ヶ月を迎える十日ばかり前、母の元に向かう私を呼び止めた看護師さん。
「もう、いつ退院してもいいって、先生が言ってましたよ」
「うわっ!いいんですか!」
「日にちが決まったら看護師か先生に伝えてください。あっ、今言って明日退院とかはだめですよ~(笑)」
「そっ、そうですよね。ハハハハハ……失礼します」(既に気持ちは母の所へ)


「よかった~。早く教えてあげなきゃ!」
 心なしか階段を駆け上がる足取りも軽い(運動不足解消のためエレベーターを使わないことにしているので)
「いつ退院してもいいって!」
「うん、お昼に先生が言ってた。お姉ちゃんも来たから言っといた」
「あっ、知ってたのね……えーっと、良かったね!」(一瞬、妙な間が(苦笑))


 退院が決まったのは本当に嬉しかった。先生も看護師さん達もリハビリのスタッフさん達にも、本当にお世話になった。
 が、退院後の事について、ケアマネジャー、病院の包括と家族の話し合いをした時に、時間になっても病院の包括の人は姿を見せなかった。
「ここの包括の人、結局お母さんに一回も会いに行ってないんだって言ってました」
「あー……」
「こんなんだから、ここの病院からの依頼は受けないことにしてるんだよ。無責任過ぎるんだもの。でも、お母さんの事は任せて!私、受けた仕事はちゃんとやるから!」
 なんて心強い言葉。
 退院前の検査やら何やらで、結局丸三ヶ月での退院となった。
 退院の日は、ささやかならが退院祝いもして、「やっぱり自分のベッドが一番いいね」なんて言いながら眠りについた。


 病院でリハビリを頑張った母だったが、まだまだ一人で安定して歩くことは出来なかったので、移動の際は誰かが支える必要があった。なので、寝てるときや用事があるときは携帯を鳴らすことにしていた。


 夜九時にベッドに入った母だったが、一時間後に携帯が鳴った。
 慌てて駆けつけると
「トイレに行きたいんだけど」
「オッケー」
 そしてまた十時に携帯が。
 結局その日はトイレに行くための携帯音が次の日の三時まで一時間おきに鳴った。
 いや~、退院初日だから緊張したのかもしれない。
 初日だったから、自分もまだまだ余裕があった。いや、そう思いたかっただけかもしれない……。

残りわずか

「6ヶ月はあっという間です」
 確かに入学式の日に担任の先生が言っていた。
「いやいやいや、6ヶ月もあるんだよ~」
と、内心、生徒である私たちは皆、そう思っていた。
 が!気づけば既に5ヶ月が過ぎようとしている。
 最近は卒業に向けてのテストの日々。
 もうすぐ介護施設での実習も始まる。
 残りの1ヶ月は、更に更に早いと感じる1ヶ月になるのだと思う。
 二十代から五十代。色んな職種や経験をしてきた人達の話を聞き、共に笑い共に泣き、就職が決まった時には家族のように喜び合える素敵なクラスメイトと学べている幸せを噛みしめている。